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幼稚園からのおしらせ
幼稚園からのおしらせ

学校法人 三次伊達学園 三次中央幼稚園



りす 白髪先生のつぶやき りす



平成15年度
   誕生日  平成15年7月

昭和34年3月に卒業した私の中学時代のクラス会が、6月14日に鞆の浦の旅館でありました。世羅郡甲山町の山奥の中学校で、とっくの昔に統廃合で廃校となり、今ではその学舎は競走馬の畜舎となっています。そのときの同級生は73人で、卒業以来、オリンピックに合わせてクラス会をずっとしてきていました。4年に一回です。そして、50歳頃になるとアジア大会も加わってきて、2年に一回ずつ開催されるようになってきていました。3年前のオリンピックのときは淡路島でありましたが、私は幼稚園の父親参観日と重なって出席することが出来ませんでした。ところが、昨年のアジア大会にはクラス会の案内がありません。今年の4月になって6月14日(土)に福山市の鞆の浦で開催する案内が来ました。クラス会に先立って神社に還暦のお参りをすることも書いてありました。そのために昨年のアジア大会に合わせて開催することをパスしたことも分かりました。行事予定表を見ると父親参観日の前の日でしたので出席することにしました。今回は33名の出席です。中学を卒業して以来何回もしているクラス会ですが、卒業して以来、初めて参加した者が二人いました。一人は男性で大阪に在住しています。神社で再会したときお互いがすぐに名前を呼び合いました。でも、中学時代、その子と遊んだ記憶が甦りません。すごく背が高いので、「大きくなったね」と言うと、中学校のときから背が高く、高い方から2番目だったと言います。名前も顔も覚えているのに、遊んでいるときの記憶が全然無いのです。そのことを話すと、自分は遊びもクラブも何もしない子だったと言います。それで私の記憶にも残っていないことは分かりました。
もう一人、初めてクラス会に参加した女性がいます。この子は、ずっと所在が分からないままでした。小学校4年のときに関西からやってきた子で、父親が建設会社に勤めていて、三川ダムの建設工事のため、家族で引っ越してきたのです。ところが、中学2年の夏休みが終わって二学期が始まってみると、その子はいませんでした。それ以来、ずっと所在が分からないままでした。
ところが、一昨年の秋のある日の夕方のことです。私のお袋から電話があり、「優子ちゃんが来たよ。旦那さんも一緒だった」と言うのです。そこにいるのかと訊くと、もう帰ったと言います。「住所や電話番号は?」と訊くと、「岐阜県に住んでいるとは言っていたけど、住所など何も聞いていない。でも、矢野温泉に泊まると言っていた」と言うので、数件ある旅館に電話してやっと見つける事が出来たのです。そして、女房と一緒にその温泉旅館に急いで尋ねて行きました。旅館につくと、彼女もロビーで待ち構えています。でも、最初は旅館の女将さんかと思ったのです。私の記憶の中には中学校のときのままの利発でかわいらしい顔しかありません。自分のことは棚に上げて、あまりにも歳をとっているので、一瞬、たじろいたのです。そして、部屋に入り、ご主人を紹介してもらって、いろいろと話に花が咲きました。聞いてみると、2年生の夏休みにお父さんの転勤が急に決まって、みんなには「さよなら」も言えないまま転校したことや、結婚して以来、秋になると友達のこととマツタケの美味しかったことを思い出して、そのことを主人に度々話していたら、主人が、いつかマツタケを食べに行こうと言ってくれていて、今日、やっと夢が実現したと言います。ところが、一緒に遊んでいた仲良しだった女の子の家を数件尋ねても、皆お嫁に行ってしまって、しかも代替わりしていて知った人がいなかった。あきらめて帰っていたら、あなたの家の前を通りかかって、あなたのお母さんが門の前の畑の草をとっていて、名前を伝えたら、私のこともいろいろと覚えてくれていてうれしかった。そんな話を一気に話してくれました。その子の仲良しだった女の子が吉舎に住んでいるので、すぐ呼び寄せ、旦那さんに送ってもらって、深夜までマツタケを味わう暇もなく語り続けました。彼女の主人も私の女房も、「45年ぶりに会ったのに、こんなに仲良しの友達でいられることがうらやましい」と言います。
その子の住所が分かったので、クラス会の案内状が届き、この度のクラス会に弾んでやってきてくれました。個人個人を見ると、みんなそれなりに歳をとっているのですが、一堂に集まると、不思議なことに、中学校のときのままの顔になります。宴会場に行くと、幹事も準備することを気がつかなかったと言う、赤いチャンチャンコを入り口で全員に渡してくれます。中学を卒業と同時に、大阪の工場に集団就職した女の子二人が自分たちで手縫いして持って来てくれていたのです。私の女房が、「あなたたちは同級生と言うより、いとこ同士が集まったようだ」と言うように、本当に仲良しで、思い遣やりの有るおさななじみです。
クラス会が終わってちょうど一週間後の20日、年中組の子供たちが事務室の窓越しに、「リジチョウせんせい」と呼んでいます。窓を覗くと、一斉に、「おたんじょうびおめでとう」と言ってくれます。「ありがとう。何歳になったか知っている?」と訊くと、「え〜と、6‥」と言いかけたので、「そう、6歳になったよ」と言うと、「‥‥?」と、なんてリアクションをしていいのか困っています。
その日の夕方、先生たち全員が応接室にやってきて、花屋さんで作ってもらったと言うチャンチャンコをイメージしてアレンジした花束と色紙に職員全員の寄せ書きを持ってやって来てくれました。そして、一人一人が、自分のコメントを交えながら「おめでとう」と言ってくれます。今までは誰一人誕生日のことを言ってくれたことが無いのに、還暦の誕生日とはいえ、あまりにも優しいことを言ってくれるので、なんだか、もうすぐお迎えが来るのではと思ったほどでした。実は、2年前に撮った私の葬式用の写真がロッカーの上にケースに入れたまま置いてあります。主任にだけには、ここに有るからと伝えておいたものです。あまりにも優しい言葉を言ってくれるので、先生たち全員に披露しておきました。



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