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幼稚園からのおしらせ
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学校法人 三次伊達学園 三次中央幼稚園



りす 白髪先生のつぶやき りす



平成8年度

   得手不得手(えてふえて)   平成8年12月

今年の市内のある小学校の運動会が終わった間なしの頃、幼稚園の頃から走ることが速かった卒園児が、弟を迎えに、お母さんと一緒に幼稚園に来ていたので、「リレーに出た?」と聞くと、「ううん」と首を横に振ります。そのお母さんの話によると、毎年、走るのが速い子ばかり出るから、遅い子も出れるようにと、今年は足の速い子からは選ばないことにしたそうなのです。それを聞いて以来、心の隅にずっとひっかかるものがありながらも時を過ごしていました。
みなさんは、このことをどのように感じられますか。確かに、「いつも5位か6位で徒競走が苦痛だった。」あるいは逆に、「足が速かったから走るのがすごく楽しかった。」といった思いを大人になっても覚えています。そういう思いからか、今年は、走るのが遅い子を選手にして走らせたというのです。一見、思いやりのある配慮のように感じます。しかし、足が遅いからと選ばれた子供の気持ちはどうでしょう。リレーの選手に選ばれたからと喜んだでしょうか。屈辱以外の何ものでもなかったのではないでしょうか。そもそもリレーはクラス対抗であれ、地区対抗であれ、紅白リレーであっても、速さを競うものです。全員出られればそれでいいし、人数に制限があり選手を選ぶなら、速い人を選んで、みんなの代表としての競走なのです。自分たちの代表だからこそ応援にも熱が入ります。
人間みな得手不得手が有ります。自分は勉強が苦手だけど、走るのだけは得意だという子もいます。運動は苦手だが本を読むのが大好き、虫が大好きだという子もいます。国語は苦手だが、算数が得意、いや、自分はサッカーが得意、泳ぐのが得意、野球が得意、木に登るのが得意という具合に苦手なものもあれば得意なものもあります。遅いけど最後まで頑張るという根性の持ち主もその子の良さなのです。苦手なことがあっても何か一つでも得意なことがあるからこそ自分に自信が持てるのです。別に勉強や運動でなくとも、優しさとか思いやりの気持ちは人一倍あるということも、その子の素晴らしさなのです。
その自分の得意なことや良さを発揮できるから、そのことを周りが認めてくれるからこそ、自分に自信が持て、生きていく力となるのです。
話は元に戻って、走るのが遅い子への配慮から、選手に選ばれなかった足の速い子の気持ちはどうでしょう。もしかしたら、走ることの遅い子は勉強が良くできていて、足の速い子は走ることだけには自信があったのに、それまでも奪われていたとしたらその子は立つ瀬が無くなってしまいます。
人は一人ひとり皆違います。その違いを認め合い、相手を認め合うからこそ生きていくのが楽しいのです。
最近、各地の中学校や高等学校で、テストや体育大会の中止を求めての「自殺予告」の電話や手紙で、その対応に学校がほんろうさせれた事件が続きました。そのことで、中止や延期にした学校もあれば、予定通り実施した学校もあります。その中で、予定通り体育大会を実施した大阪・寝屋川市立第6中学校の出来事の一部を紹介します。
【体育大会を中止して下さい。無理なら集団演技だけにして下さい。してくれないと学校に行けません。いつもみんなに『おそい』といわれています。先生はおそい子の気持ちを考えたことがありますか?もう死にたいくらいです。お願いします。】
この体育大会の中止を求める手紙が届いた数日後、緊急の全校集会を開き、千人を超える生徒の前で校長先生は「自分の悩みを打ち明けてくれてうれしいと思う。いろんな悩みや考えをもった人が集まっているのが学校です。自分との違いをもった友達がいることを認めて欲しい。そして、いろんな悩みをもった友達の立場にたって一緒に考え、手を差し伸べて欲しい」と切々と語りかけ、その上で、「体育大会は予定通り実施したい。そのためには、一人ひとり先生と一緒に手紙の内容について考えて欲しい」と訴えました。
その日の午後、3年生の女子生徒が、「校長先生。もし、手紙を書いた人を知っていらっしゃるのなら、その子に渡して欲しい」と一通の手紙を差し出しました。それには、次のようにつづられていました。
【私も小学校のころ、走るのが苦手で毎年のようにある徒競走が嫌いでした。でも、小学校2年生の時、クラスで同じように走るのが苦手な子が「運動会にでたくない」といいだしました。そのため、クラス会を開き、みんなで意見を出し合いました。その時、私はとても驚きました。
なぜなら、「僕はオンチだから音楽の時間が嫌いだ」とか、私は字がキレイではないから、お習字の時間が嫌いだ」etc……
皆、ふだんは何でもできますというような顔をしているのに、その人たちでも「苦手な事があるのだなあ」と、とても安心したのを覚えています。だから、走るのが苦手なあなたでも他人に負けない何かがあると思います。私はそれを見つけることができたので、それほど走るのが嫌では無くなりました。(中略)
それから、私はあなたの意見に一つだけ反対したいことがあります。それは、あなたは「みんなから足が遅いといわれる」と書いていたそうですが、みんながみんな「遅い」というわけではないでしょう。きっとあなたを応援してくれる人だっているはずです。あなたがそれに気づいてくれるといいなと思います。(中略) 嫌な事から目をそらしていると、いつか楽しいことも見えなくなっちゃうよ。走るのが速くても遅くても一生懸命走れば、そのあなたの一生懸命がきっとクラスの人に伝わるはずだよ。だから頑張ってください。】
それを読み終えた校長先生は感動とうれしさの余り、「ありがとう」と生徒の手をギュッと握りしめ、その生徒の了解のもと、全校生徒に各担任が読んで聞かせました。もちろん、体育大会は感動の内に終わりました。
みなさん。いかがでしたか。最近、みんなと同じでないといけないと考える風潮が強くありませんか。みんな同じでないといけないから異質なものに対して「いじめ」が起こるのではないでしょうか。「個性を伸ばす。特性を伸ばす。」ということは、その子その子の得意なところや持ち味を生かす教育なのです。違いを作ることなのです。そのことが、自分自身の自信となり、人との違いを認め合い助け合い、環境の変化にも対応しながら、人間として生きていく力となるのです。違いを認め合うことができたら、「いじめ」も無くなるのではないでしょうか。




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