余白
総合保育施設子供の園ちゅうおう
ホームへもどる
お知らせはこの下

三次中央幼稚園
教育方針
園の特色
子供たちの広場
年間行事
入園案内
プレイルーム
(預かり保育施設)
三次中央幼稚園のブログ
白髪せんせいのつぶやき
葉子せんせいの部屋
えんちょうのえほんこうざ
 
子供の館保育園
子供の城保育園
 
ちゅうおう憩いの森
ちゅうおう児童クラブ
 
メールはこちらへ
プライバシーポリシー

幼稚園からのおしらせ
幼稚園からのおしらせ

学校法人 三次伊達学園 三次中央幼稚園



りす 白髪先生のつぶやき りす



平成8年度
      良い子    平成9年3月

京都大学で臨床心理学が専門の菅野信夫先生からこんな話を聞きました。京都大学の中に保健管理センター学生懇話室というのがあって、毎週、大勢の学生が悩みを抱えて訪れるのですが、受験戦争に勝ち抜いてきた彼らが、入学してから一気に無気力に陥ったり、友達と心を開いて話ができず対人関係が結べない等、様々な現象が見られるのだそうです。その根底を探っていくと「幼児期」という共通の問題が横たわっていることがはっきりしてきたというのです。その共通の問題とは、幼児期に手がかからない「良い子」であったということです。それが大学生になって手がかかる
子供に変身したのです。その原因として、彼らが幼児期にそれぞれの段階でクリアすべきであった発達段階を未解決のまま青年期まで引きずってきたことが考えられ、「青年期をどう生きるか」は「幼児期をどう生きたか」に密接にかかわっており、この意味において「幼児期の心とその発達」の重要性を強調されました。 そして、『一口に「良い子」「悪い子」と言うけれども、考えてみると「誰にとって」なのかというと、大概の場合は、「親」にとって「良い子」「悪い子」なのではないだろうか。「不登校」の場合を例にとってみても、これは誰にとって都合の悪い行動なのか?ズバリ言って、親とか教師とかの周囲の大人にとってである。親が自分の価値観に基づいてわが子に抱く数々の欲求や願いに適応しないことに対して「悪い子」と呼び、親の言うがままに(自分を殺して)適応に努めている子を「良い子」と思ってはいないだろうか。しかし、その「良い子」も成長を遂げる課程で親の価値観や信念体系に疑問などを感じ、批判的に不適応行動に出る』というお話でした。
先ほどの話の中にあった「それぞれの段階でクリアすべきであった発達段階」というのは、赤ちゃんは赤ちゃんのときに、幼児は幼児のときに経験しなければならないことをしっかりと経験しなければ、人間として望ましい発達をみることができないということなのです。
ところが、わが子となるとゆったりとした気持ちで育てることがなかなか難しくなるのです。友達が何か出来だすと、わが子がまだ出来ないことが気になり始め、急いで教えようとします。文字が読めたり書けたりする子を見ると、焦ってしまいます。そうやって段々と子供に指示ばかりして育てるようになります。子供の方も親の指示通りにしていると失敗もしないし、叱られることも有りません。「指示待ちっ子」の方がおりこうでいられるのです。親のいうことを良く聞いてくれますから「良い子」なのです。「良い子」からはみ出すと、お母さんも気に入りませんから、しつけも厳しくなります。
厳しく育てられたり指示されて育ったりした子には本来の子供の姿がありません。幼児期の子供は好奇心のかたまりで、いろいろなことに興味を示します。すごく興味を示したことに夢中になります。夢中になるということはそのことに集中していますから、服が汚れることも時間がたつことも忘れています。親から見たら乱暴に見えたりいたずらにしか見えないことがたくさんあります。「良い子」を育てているお母さんからは「悪い子」に見えます。そうすると直ぐに叱られます。「良い子」に育てられた子や厳しく育てられた子にウソをつくことがよく見られます。ウソをつくことで「良い子」であろうとします。他人のせいにして自分を守ろうとします。厳しく育てられている子は親の愛を感じません。親の愛情が欲しいためにウソをつき他人のせいにします。そうして、親が相手を叱って自分を守ってくれることで親の愛を確かめることすらあります。
子供は直接体験することによって大きく成長するのですが、それは好奇心が原動力となるのです。子供は興味を示したことのみ大きく心を開きます。そして、友達と関わりながら、いろいろなことに挑戦したり、触ったり見たりして確かめていきます。「子供の仕事は遊びである」と言います。その意味は、このことができると将来役にたつからというような効果意識が無いからなのです。今していることが楽しいからしているのです。楽しいから頑張るのです。もっと楽しくするために友達と協力したり、試行錯誤し、創意工夫するのです。子供たちの好奇心を満足できる生活を保障してやることが、子供の意欲や主体性、思考力や創造力、思いやりやいたわりの心の発達を保障することになるのです。
そういう生活をしっかり保障してやることが「幼児期の段階でクリアすべきであった発達段階」に当たるのです。
そのような生活を保障するためには「子供は遊びの天才」「いたずらの天才」なのだと見方を変えれば、子供を見守る心の余裕が出てきます。親の方に子供を見守る余裕が出てくると、目くじらをたてて叱ることも無いし、子供の素晴らしいところがいろいろと見えてきますから、本当の意味での「良い子」が育つのではないでしようか。それどころか、子育てがとっても楽しくなりますよ。



BACK



(C) Miyoshi-date Gakuen Educational Foundation Miyoshi, Japan 2001-2008 (C) ASTOK JAPAN,INC. Osaka, Japan 2001-2008
(C) Chuo Fukushi-kai Welfare Miyoshi, Japan 2001-2008