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幼稚園からのおしらせ
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学校法人 三次伊達学園 三次中央幼稚園



りす 葉子せんせいの部屋 りす



平成19年度
 『見て学ぶ』      平成20年11月28日

紅葉真っ盛りの中、例年になく早い初雪で山の景色にも一段と趣が感じられました。紅や黄や白で囲まれた周りの景色の何と贅沢な美しさよ…と、心からそう思います。これから益々寒くなり、次は冬の自然が子供達にどんな姿で感動させてくれるのかを楽しみに待ちたいものです。
そんな事を考えながら、園庭を歩いていたところ、どんぐり集めや落ち葉集めに使ったビニール袋がドロドロになって落ちているのに気が付き、私はそれを拾いゴミ箱の方へ歩いていました。すると、一人の年少組の女の子がその様子を見ていたようで、保育室から出てきて、「葉子先生、それどうしたん?」と聞いてきました。わたしは、「園庭にゴミが落ちていたから拾ったんだよ。」と答えました。「それ、どうするの?」と聞くので「ゴミ箱に捨てようかと思っていたの。捨ててくれる?」と逆に聞くと「うん。」と言って、得意気にそのゴミを捨てに行ってくれました。そして、また私のところに戻って来て「なんで、拾ったの?」と聞くので、「だって、せっかく落ち葉や雪でお庭がきれいなのに、ゴミが落ちていたら残念でしょ。」─そう言うと女の子は、私の顔と園庭をかわりばんこに見ながら、「ゴミに気がついたん?」と聞くので「そうよ。気がついたの。」と答えました。そしてまた、私の顔と園庭をかわりばんこに見て少しすると、「そっか!ゴミは気がついた時に拾うのか。」と納得したように向こうへ走って行きました。ゴミを手に歩いていた私の姿が、見過ごさなかったその子の心にどう映ったのか、また、私とのこのやりとりで何に納得して何を感じたか、それはわかりません。だけど、(どうして?)と思ってくれた事で、ゴミを拾った私の気持ちはわかってくれたと思うのです。(なんで葉子先生は、お掃除の時間でもないのに、ゴミを拾っているんだろう?)と思うその子の純粋な眼差しを見て話をしていると、「だから、あなたも気がついたらゴミを拾うようにしようね。」等と教え込みたくありませんでした。私も勿論、そういうつもりでゴミを拾ったのでもありませんでしたから、その時にゴミ拾いを意識させる言葉が出なかったのです。だけど、「そっか!ゴミは気がついた時に拾うのか。」と言って走って行ったその余韻(?)は、その子にとって、自分なりに“考える時間”だったのではないかと思うのです。このやりとりの結論は『ゴミは掃除の時間に関係なく気がついた人が拾う事によって園庭もきれいになるし、みんなが気持ちよくなる。だから、あなたも気がついたら知らないふりをしないで拾いましょう。』という事になるのだけれど、子供って、人がしている事を見て、それをどう理解して自分はどうしなければならないか、という事が頭の中で整理できるまでに、少し時間を要するものだと思います。これは自分でそれを会得するための大切な“間”なのです。結論を急いで伝える必要はないような気がします。見て知り、見て考え、見て学びとる事が学習だと思います。そして、やってみる事でより確かなものにしていくのです。子供の学びは、そうやって時間をかけて積み上げられていきます。
子供達は大人のする事をとてもよく見ています。ふと気がつくと、わが子が自分と同じようにしている事や、口調が同じだったりする事がありませんか?子供にとって、お父さんやお母さんは絶対的なお手本なのです。特に躾をしようとか教えようとかしなくても、小さい間は私達大人が、正しい事を正しく行動していれば、その姿を見て学ぶのです。“考える時間”“余韻”を与えてあげてください。結論は子供自身で出させてやるのです。
しかし、大きくなったら、そうばかりではいけなくなってきます。例えば、先日、私に同窓会の出欠を問う往復はがきが届きました。その返事を書いている隣で娘がじーっと見ていました。返信用の宛名についている“様”の文字を私が消していると「どうして、消すの?」と聞きました。「だって、自分の事を“様”で相手に送るのはおかしいでしょ。何でもそうよ。こういう時には、二重線で消して送るのよ。」と教えてやりました。娘は「なるほど!」と大変納得していました。子供なりに世界が拡がっていくのですから、自分の事だけでなく、いろんな人達との関わりが生まれます。お互いが気持よく生活していくために必要な事も知っていかなければならなくなります。折に触れ、人生の先輩として、伝えてあげるといいのだと思います。教えられて学ぶ事と、目にして自分で考え学びとる事があるという事を私達大人は知って、“伝え分け上手”にならないといけないのかもしれません。そして、いつでも子供達は大人のする事に関心をもって見ているという事も忘れないでいたいものです。
街を歩いていた親子連れ、紙屑をみつけて拾った子供が「ママ、ゴミが落ちてた。」とお母さんに見せました。「汚い!何拾ってんの!離しなさい!」──。誰がどんな物を捨てたかわからないのですから確かに汚いし、この物騒な世の中、危険が伴う事も無きにしも有らず、そう言いたくなる気持ちもわかります。ましてや、最近では、ゴミ箱が設置された場所はそんなにありません。自分なら何て言ったかな?と考えますが、気がついて拾ったその子の気持ちと行動は間違いなく常識的で正しい事だという事は伝えたいものです。

田房葉子



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