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幼稚園からのおしらせ
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学校法人 三次伊達学園 三次中央幼稚園



りす りす




『心の中の鬼退治』    2021年2月26日

昨年の初夏、我が家の庭の隅っこにフキを数本見つけました。来年の春には、この場所でフキノトウを見る事ができるかもしれないと、ちょっとした楽しみにしていました。寒い間はそんな事も忘れていましたが、柔らかい春の光を感じる休日に「そう言えば…」と思い出しその場所に行ってみると、ちゃんと小さなフキノトウが土の中から数個頭をのぞかせていました。この一年大変な事がいろいろあったけれど、ちゃんと春はやって来てくれたんだねと嬉しくなりました。

暦の上では節分を境に春が始まります。節分と言えば「豆まき」。古来、季節の変わり目には悪い事が起きがちだとし、その邪気を追い払うために行われるようになった年中行事です。幼稚園でも2月2日には「豆まき」をしました。その日までに先生達は子供達に「豆まき」の由来や意味について紙芝居や絵本などを読み聞かせながらわかりやすく話をしました。当然ですが、子供達は「鬼=怖いもの」というイメージを持っているので、警戒しながらその日を迎えました。鬼の登場から「鬼は外!福は内!」と叫びながらの豆まきによる鬼退治劇では、自分の身を守る為に一生懸命に豆まきをする子供達は皆真剣そのものでした。この日本の古来から伝わっている行事について考えてみます。

幼稚園には鬼が来た翌日、子供達から聞いたところによると「家には“お父さん鬼”が来たよ。だから怖くなかった」とか「めっちゃ怖い鬼が来た」とか「幼稚園で退治したから、もうお家には来なかった」等いろいろでした。鬼に対して、子供の反応も親の受け止めも様々だった事が伺えました。鬼は確かに怖いものです。今の世の中、その受け止め方も賛否両論です。ただ単に鬼を登場させて怖がらせるのではなく“賢く健康に成長しますように”“災いもなく平和にすごせますように”との願いが込められています。邪気を祓い新たな気持ちで先を生きる力をつけるという先人の願いが込められた大切な日本の伝統のひとつのような気がします。私達が幼い頃には「嘘をついたら鬼や閻魔様に舌を抜かれる」と脅かされながら、「嘘をつく事はいけない事」だと教わりました。見えないこの得体の知れない怖いものには逆らえないという縛りから、いつの間にか規範意識を身につけたような気がします。大人になるまでずっとその事を本気にしていたわけではなく、成長するにつれていろいろな経験を積みながら本当の物事の善悪の判断が鬼を頼らずしてできるようになったのです。昔の歌ですが、「トイレの神様」という歌があります。(古いですね)おばあちゃんが、トイレ掃除が苦手な孫にトイレにはきれいな神様がいて掃除をしたらべっぴんさんになるという歌があります。また妊娠中にトイレ掃除をすると可愛い子が生まれる等という迷信があります。これまた得体の知れないものを信じ、汚い所をきれいにする事で気持ちを清らかにできる事を習慣づけられました。この得体の知れない「鬼」とか「女神様」を恐れたり信じたりする経験は自分への戒めなのではないかと思うのです。

子供達には節分の豆まきの意味を、“心の中の鬼を追い払い、きれいな心にする事によって幸せを呼ぶのだ”と話します。子供達それぞれに、「みんなの心の中にはどんな鬼がいるか見てごらん」と言うと、服の首元から胸の中をのぞき込み、いろいろな事を言っていました。「野菜が食べられない鬼!」「泣き虫鬼!」「ケンカ鬼!」「おしゃべり鬼!」…。思いつく悪を鬼に変えて言っていました。子供達もちゃんとわかっているのです。それが心の中でわるさをするために、偏食をしたりすぐに泣いたり喧嘩をしたり、人の話を聞けずにいたりするのだと、自分のせいではなくその得体の知れない何者かのせいにするのです。それさえいなくなれば、良い子に…強い子になれると信じているのです。無病息災を祈り身体の鬼を追い払う事で気持ちが強くなり病からも災いからもどうにかして逃れられると信じているのです。子供が自責の念に駆られなくてすむ…ある意味優しい?行事かもしれませんね。

人間は誰もが“善の心”と“悪の心”を持っています。そして、この善と悪の心を戦わせながら社会に順応して生きています。悪の心が誰かを傷つけたり、自らが悪に染まってしまったりする事もあるかもしれません。そんな時、善の心が「それでいいのか?それはいけない事じゃないか?」と戦うのです。その戦いに勝利しながら規範意識をもって生活しています。子供のうちは、周りの大人達に悪から守ってもらい、善の道を照らしてもらえています。でも、大きくなるにつれて世界が広がり、自ら闘わなければならない状況に何度も出くわす事が増えてくるはずです。右か左か?諦めるか頑張るか?進むか止まるか?を選ばなければならない時にどちらが善でどちらが悪となるのかを冷静に判断できる力が必要です。そのためには、自分の弱さとか欠点を知り、そこを何とかしようと自ら努力する強い心を持ち合わせていなければならないのです。そういう事を子供達に伝え、強い意志を持った大人に育てるために、この行事が残されて来たのだと思います。節分の豆まきをした後で、お迎えを待つ子供達に「今日の鬼は怖かった?」と聞くと「凄く怖かったよ~でも泣かなかったよ」「豆を鬼に命中させてやっつけたよ」「園長先生は大丈夫だった?」等と口々に話してくれました。「心の中の鬼はどうなった?」と聞くと服の首元からまた胸を覗き込み「うん!もういない!」と安心した顔で答えました。自分で自分の心の中の鬼を追い払うことができたと思う事で、心身共に健やかな賢い自分になれた事を喜んでいたようでした。

3月はひな祭り(桃の節句)、5月にはこどもの日(端午の節句)があります。これらの伝統行事もまた、大切な子供達の健やかな成長を願う年中行事です。そこに飾る一つひとつの物にも全て、その願いに通ずる意味合いを持たせてある事に愛を感じます。昔とは生活様式も変わり、様々な伝統行事は時代と共に薄れがちです。かつて良い薬もなく簡単にお医者様に診てもらう事の出来なかった時代から伝えられている子供達の健やかな成長への願いや祈りの行事は、世の中が混乱しているコロナ禍の今だからこそ意味を見つめ直し、私達は次の世代に大切に繋いでいかなければならないのではないかと思います。

もう少ししたら59名の子供達が、幼稚園から巣立って行きます。この子達が、どんな境遇に身を置く事になっても、自分の中の“善”と“悪”の心を戦わせながら正しい道を選びそれを信じて生きていく事のできる大人になって欲しいと願っています。また、子供達は新型コロナウイルスにより様々な事が制限された一年を過ごしてきました。しかし、そんな中だったからこそ新しい価値との出会いがあったはずです。それに出会わせるために私達は知恵を出し合っていろいろな事に挑戦してきた一年でした。子供達と一緒に、どうしたら楽しめるか?もっと豊かな生活にするためにどんな事ができるかな?と絶えず考え心の中で闘い葛藤してきた一年でした。できない環境の中で何とかできるようにする豊かな発想が必要だった一年を共に過ごしてきた子供達は実にたくましく、人を大切な存在として求め合う愛情深い子供達に成長してくれていると信じています。

どうか自分の力を試してみたくなるような夢溢れる未来がこの子達を待ってくれていますように…。

田房葉子





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