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幼稚園からのおしらせ
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学校法人 三次伊達学園 三次中央幼稚園



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『じゃんけんのちから』 平成21年11月30日

いよいよ冬の到来です。街にはクリスマスソングがどこからともなく耳にはいり、気分がウキウキしてくるそんな12月です。
幼稚園の子供達は夏の暑さも冬の寒さも当たり前に受け入れ、その自然を体感しながら毎日元気に遊んでいます。子供達が遊んでいる様子を見ていると色々な場面に出くわし、あらためて子供の世界!のおもしろさを感じる事があります。
先日、数人の子が、集まって何やらもめていました。年中組の子供達でした。「どうしたの?」と聞くと、「この自転車、僕も乗りたいんよ。待っているのに、○○君が代わってくれないんよ。」と腹をたてて言って来ました。「かわりばんこに使ったらいいんじゃないの?」と私が言うと、「だって!僕だって乗りたくてずっとこの自転車が空くのを待っていたんだ!」ともう一人の子も訴えます。どうやら、他の子が乗っていた自転車がやっと空いて、使えるようになった矢先のもめ事だったようでした。「どっちかが独り占めしたら、乗りたくても乗れない人が可愛そうでしょ。」と、私はいかにも極々当たり前の事を子供達に言いました。子供達だってそんな事は百も承知です。どちらかが「いいよ。譲ってあげる。」と言ってくれればその場は解決するのです。だけど両者譲ろうとしません。二人ともその自転車のサドル部分を握ったまま離そうとしません。この手を緩めたらこの勝負に負けてしまうからです。いろいろと言い聞かせましたが、子供達にとって納得のいく解決法にはならなかったようでした。鋭いにらみ合いです(本人達は鋭い顔のつもりでしょうが、私から見ると“必死さ”をお互い訴えようとする心理が見え見えで可愛いにらみ合いでした。)そこで、私は「じゃんけんしたら?」とふと提案しました。これだけ、いろいろ話をしても納得してくれないものが、じゃんけんごときで納得してくれるわけないだろう。と思いながらの提案でしたが、なんと、二人共顔を見合わせニヤリッと笑って、「いいよ!」と言うのです。すると二人は急にサドルから手を離し、じゃんけんの構えをしました。「じゃんけんで勝った方が、先に乗るんだよ。そして、また次にじゃんけんして勝った方が乗るんよ。」と二人の間にルールができました。最初のじゃんけんは私がジャッジしました。「最初はグー!じゃんけんポン!!」勝ったのは、さっきから乗せてもらえなかった男の子でした。私は、変わる事を拒んだり苦愚痴の一つでも言うのではないかと思っていましたが、あっさり「はい。」と言って交代したのです。少し拍子抜けしましたが、それからは、何度も何度も、じゃんけんをしては勝った方が乗り、負けた子は横をついて走る……そしてある程度乗ったらまたじゃんけん……、その繰り返しでした。さっきまでの険悪なムードが一転し、結構楽しそうな様子でした。それがまた二人の間での遊びになっていきました。
あれだけ、仲裁に入っても納得してくれなかったのに、じゃんけんには、特別な力があって凄い!と思いました。しかもその勝負を決めるじゃんけんをする時がとても楽しそうなのです。トラブルを解決するには、普通、お互いに話し合うという方法で向き合います。話し合いで解決する事には、解決策を見つけ出すまでのプロセスの中で、お互いに相手の気持ちや立場に気づき、学び得る事があるという意味があり大切な事だと思います。しかし、時に話し合いは、そこに大人が入る事によって、子供にとっては実に面白くない終結になってしまう事もあります。解決したように見えて実は気持ちの部分では解決しきれていないという事もあるのです。子供の心理として“嫌なものは嫌!”誰が何と言っても“我慢できない事は我慢できない!”という事もたまにはあるでしょう。トラブルの全てを話し合いで解決するのは窮屈です。(少し乱暴な言い方かもしれませんが…。)じゃんけんという遊びの“審判”がはいる事でトラブルの解決をごまかす事になるのかもしれませんが、内容によっては、ウヤムヤにしてしまう事も子供の世界にはあっていいのではないかと思うのです。やり合っているうちにいつの間にか問題が解決していた…何がなんだかわからないうちに、又は、どっちが悪かったのかをはっきりさせないうちに何となくこの喧嘩はおさまっていたという事はしょっちゅうあります。大人が大人の物差しで、仲裁に入る事より自分達の納得いく方法で解決していく方が、子供達にとっての喧嘩やトラブルを通してさらに子供同士の関係を深く密なものにする事ができるような気がします。
誰もが納得いくこのじゃんけんの“審判”はそういう意味で子供の世界には欠かせない遊びなのかもしれません。じゃんけんのおかげで、後腐れのない喧嘩の終結となるのです。じゃんけんで負けたんだから仕方ないなと思えるのも子供の世界だからでしょう。腕力の差や能力の差がじゃんけんには関係ないから実に公平で結果に納得でき、その結果にしたがう気持ちにもなれるからです。“たかがじゃんけんされどじゃんけん”です。子供達が兄弟姉妹でちょっとしたもめ事を始めた時に「ねえねえ、じゃんけんで決めようよ!」と遊び心を匂わせて提案してみてください。さて、どう反応するでしょうか?…兄弟姉妹げんかにおいてはそんなに甘くないかな?

田房葉子




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