余白
総合保育施設子供の園ちゅうおう
ホームへもどる
お知らせはこの下

三次中央幼稚園
教育方針
園の特色
子供たちの広場
年間行事
入園案内
プレイルーム
(預かり保育施設)
三次中央幼稚園のブログ
白髪せんせいのつぶやき
葉子せんせいの部屋
えんちょうのえほんこうざ
 
子供の館保育園
子供の城保育園
 
ちゅうおう憩いの森
ちゅうおう児童クラブ
 
メールはこちらへ
プライバシーポリシー

幼稚園からのおしらせ
幼稚園からのおしらせ

学校法人 三次伊達学園 三次中央幼稚園



りす 葉子せんせいの部屋 りす





『学べるチャンス』    平成24年1月31日

新しい年を迎え、あちらこちらに新年の挨拶をしていたら、いつの間にかもう2月…。まだまだ、年明けの余韻を残したまま、時が経っていきます。幼稚園では、年長組の保護者懇談会も行われ、幼稚園を巣立つ準備が始まっています。他の学年にとっても、3月までのこの数カ月は大切な時間となります。ゆっくり時間が経ってくれればいいのに…と物悲しくもあります。

最近年長組のお母さんとこんな会話をする事がよくあります。「もうすぐ卒園…。入園式をしたのが、ついこの前のような気がします。3年間なんてアッという間ですね。」──そうですよね、保護者にとっても子供達が“こども”でいてくれるのは、長い人生の内の一瞬の時間なのです。でも、この短い時間が子供の将来の人生の土台になるのです。人として、生き抜く力はこの時期にこそ育つと思います。たくさんのいろんな経験をすることこそが、この時期にしか出来ない学びだとつくづく思います。

では、“色々な経験から学ぶ”とはいったいどんな事なのでしょうか?たくさんの手習いをし、知識や技術をマスターする事?いろんな所へ、おでかけして楽しい思い出をつくる事?……こんな経験も確かに必要なのかもしれません。でも、与えられた経験ではなく、流れゆく時間の中でじっくりと自らの興味で瞳を輝かせ、時間を忘れるほど遊び込む経験こそが一番の学びであり土台作りに必要な事なのではないかと思います。「あらっ?」「どうして?」「なるほど」という経験がたいせつなのです。

少し前の事です。満3歳児さつき組のある男の子が、「ねえ、ちょっとちょっと!葉子先生!来て来て」と朝の園庭で私を忙しそうに誘いました。「なになに?」と傍に寄ってみると、一本の木の皮の窪んだ部分に見事に作られたクモの巣を覗きこんでいました。そのクモの巣に朝露がかかり青白くきれいに見えていました。

「これは何?」と聞くのです。見れば、園庭の木のあちらこちらに同じものができていました。その子が言うまで、気が付きませんでした。きれいだなあ、不思議だなあなんて思いもしませんでした。その子は、一日中でも外で遊び、色んな事を発見出来る子です。だんご虫、カマキリ、ドングリ、水たまり…入園してから今まで、色んな事に興味を持っている彼の掌には、いつも何かが握られています。「なんだろう?」と真剣に観て考えるのです。また、先日、ある年少組の保護者のれんらくノートにちょっとした母子の会話が綴られていました。その子のおじいちゃんは、漁師さんだそうです。海で獲れた魚を三次の孫に送ってくださる優しいおじいちゃんです。その子は食通でタイの目が好きらしく、「愛媛のおじいちゃんにタイを送ってねって電話しようや」とお母さんにお願いしました。そしてしばらくして、「ねえ!タイは海のなかで泳いでいるでしょ?じゃあ、おさしみも海で泳いでるん?」と聞いたそうです。そのお母さんは、なんてとんでもない事を聞くんだと、さしみがひらひらと海を泳ぐ姿を想像して苦笑いしたそうです。「…はてさて?どうして?」「ん?これは?」「…ということは?」と思うこの興味は、必ず将来の彼の探究心を育てると思うのです。知っていると思っていた事が意外にも知らなかったり、勘違いのままその子の知識になっていたりする事がたくさんあるのです。大きくなって、今の今まで知らなかったの?と驚く事も結構あるような気がします。それは、それまで興味や関心を示さないまま大きくなったからです。また、そういうチャンスがなかったからです。早期教育等により、子供達が自ら身体を動かし心の目で物事をじっくりと観る時間や気持ちの余裕を失くしてしまう事も要因の一つになるのかも知れません。私達大人は、そのありのままの姿や様子、または本物に触れさせてやる事、そうできるチャンスを奪わない事が大切だと思います。

料理をするお母さんの傍で、その様子を見ているだけで、「そうか!」といろんな事に気付きます。仕事をしているお父さんの手伝いをするだけで、「なるほど!」といった事にも出合えます。畑仕事をするおじいちゃんの傍で土と戯れ遊ぶ時に、季節の野菜の正体や生命力を目の当たりにします。針仕事や洗濯物を干すおばあちゃんの手元を見るだけで、昔ながらの知恵を教わります。昔はこんな光景が当たり前だったそうです。「どうして?」「これはなぁに?」と尋ねた時にゆっくりと教えてくれる人が周りにはたくさんいたのです。だからいつでも、もっと知りたいとか教えてもらいたいと思いながら、色んな事に興味をもちながら経験できていたのだと思います。

今の時代、スーパーに行けば、魚を捌(さば)かなくても良いように、パックに切り身で売っていて、本当の姿がどんな物かを知るチャンスがありません。季節に関係なく野菜が並び、寒い時期でもトマトやキュウリが食べられます。夏野菜という言葉を聞いてもピンときません。すぐに調理しやすいように、皮を剥いてあく抜きがしてあるサトイモやゴボウの笹がき…手を加えていないそれらを見て、同じ物だとは思えないでしょう。 “便利に”とか“能率良く”と、生活をするために省きたい『無駄な時間・無駄な事』は実は子供にとっては大切な時間であり貴重な事なのかもしれません。子供達が思う存分興味深く経験できる時間や気持ちを大切にしてやる事、チャンスを奪わない事が、幼児期の本当の教育だと思うのです。

田房葉子



BACK



(C) Miyoshi-date Gakuen Educational Foundation Miyoshi, Japan 2001-2008 (C) ASTOK JAPAN,INC. Osaka, Japan 2001-2008
(C) Chuo Fukushi-kai Welfare Miyoshi, Japan 2001-2008