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幼稚園からのおしらせ
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学校法人 三次伊達学園 三次中央幼稚園



りす 葉子せんせいの部屋 りす





『〇か×か 白か黒か』   2019年1月31日

 先日、年長組の子供達が卒園写真を撮りました。大騒ぎの中、入園写真を撮ったのがついこの前のように思い出されます。「じっとしててね。こっちを向いててね。」と、言っても言ってもみんなが揃っていい顔をしてくれず、撮影がなかなか大変だった事を思い出しながら、卒園写真撮影の様子を見ていました。撮影のためにパリッと制服を着て、お家の方に髪を綺麗に整えてもらって登園して来る年長組の子供達は、これも一年生になる準備だという事がよくわかっているようで、顔つきがいつもと違って見えました。園長先生と担任の先生の間で、背筋をしっかり伸ばしてカメラをまっすぐ見る子供達に目を細めました。

 そんな年長組の子供達も、そうは言ってもまだまだいろいろ経験中(?)です。ある日、男の子ふたりが新聞紙を細長く丸めて作った一本の剣をめぐって言い争っていました。「僕の(剣)だったんだ!」「違う!僕が拾ったんだ!」と言い合っているのです。そして、剣を手にしている男の子は「無理やり取り返そうとして押された!痛かった!」と悔しそうに泣いています。その反対に「僕が、話そうとしても、笑って走って逃げるばっかりで嫌だった」と両者譲らずの言い争いをしていました。話をよく聞くと、A君の言い分は、作った剣が捨てられていて、持って遊んでいたら、急に「僕のだった!」と無理やり押して取り返そうとして来た!B君の言い分は、剣は捨てたのではなく置いていた。「僕のだったから返して!」と言ったのに走って逃げられた。笑っていたから腹が立った。と……。一見、腕を押さえながら泣いているA君が可愛そうで、B君をとがめてしまいそうですが、よくよく聞いてみると、どっちも悪くてどっちも悪くない…どっちの気持ちにもうなずく事ができる。私がずっとフムフムと二人のやり取りを聞いているうちに、さすがに、「どうでもいいや」と思ったのか「こんな事に時間をかけても仕方がない」と思ったのか、そもそも、その剣にはさほど執着していたわけでもなかったのか、いつの間にかふたりの気持ちも熱も冷めて、はっきりしないままこのもめ事は終わってしまったようでした。──こういったもめ事は、子供達の中にはよくある事です。これをどっちが悪くてどっちが悪くないか、どっちが〇でどっちが×かと問われたら少し困ってしまいます。全てをこの二つに一つという答えの求め方をするのは、子供達の育ちの中では危険なような気がします。特にまだ考え方や経験に未熟な部分をたくさん持っている子供達は、自分の思ったままを発言し行動に移します。そういった事を何度も何度も繰り返しながら相手の様子を感じ取り、その時の自分の気持ちに折り合いをつけていく方法を見出します。それを習得するには、きっと長い時間が必要で、この時間が子供達の成長には大切なのではないかと思います。一つのもめ事でも、「あなたの方が悪かったんだよ」「あなたの方が間違ってるよ」と〇か×かで解決を急ぐと、子供は考える時間を奪われてしまいます。相手の気持ちと自分の気持ち、相手にされた事と自分がした事、いろいろな状況……このもめ事の裏にある全ての事を考えてみる時間と力を奪われる事になるのです。〇と×の中間△…白と黒の間のグレー…曖昧でどっちつかずの部分は、自由に捉えて自由に解釈でき、知恵を働かせる事のできる大切な部分のような気がします。そこから、許し合ったり、認め合ったりしながら、子供達の中にルールを見出していきます。たくさんたくさん考える事ができたら、そう外れた答えは出さないでしょう。そうしながら大人になって行けばいいと思います。世の中には、YESかNOか、〇か×か、白か黒か、良いか悪いかの二つに一つの答えを求められる事はたくさんあります。しかし、そうばかりではなく、人生には曖昧な部分も必要だと思うのです。“そんな事もあるさ”“まあそれもいいんじゃないか”というどっちつかずの考えを答えとして導き出す事も必要です。そうやって折り合いをつけながら上手く人と関わっていく──これも一つの答えだと思います。

 A君のここはどうだったかな?B君のそこはどうだったかな?と一つひとつに〇か×かは明らかでも、最終的にはどちらが〇でどちらが×!とは決めかねる…そこは決められなくても、一つひとつの〇×には、「ごめんね」「僕こそごめんね」……これが心から言えれば、相手の事を知りながら、学んで行けるような気がします。全員が全員、右向け右!ではなくて、人は皆、いろいろな考え方があって、ものの見方は人によって違っていていいはずです。子供達には、何らかの答えを導き出すために、その気持ちや考えに耳を傾ける事が出来たり、自分の考えを持って話せたりできる人になって欲しいと思います。そのために私達大人も、答えを急がず、しっかり時間をかけて子供達を見守り対応していく柔軟な気持ちを持っておく必要があるのかも知れません。
 幼稚園に入園して卒園するまでのこの時間は、私達教師にとって、子供達の心と身体の成長を見守り、導き、支援する大切な時間です。そして、子供達の中に育てておきたい大切な養分を土に染み込ませ、子供達自らの根っこで吸い上げてくれる事を願いながら、子供達と共に話し、触れ合い、過ごしています。それが、子供達が生きて行くための大切な学びの時間である事を思い、感慨深く卒園写真の光景を見つめていました。制服の袖が短くなったね。背が高くなったね。泣かなくなったね。椅子に座って足がブラブラしてないね。入園式のあの日から……大きくなったね。

田房葉子





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