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幼稚園からのおしらせ
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学校法人 三次伊達学園 三次中央幼稚園



りす りす




『栗ごはん』         2021年9月30日

時折、夕方の西の空が真っ赤に染まり秋を思わせてくれます。夜、耳をすませば、涼やかな虫の声が聞こえて来る…そんな季節になってきました。

先日、知人から大きくてきれいな栗をたくさんいただき、休日の半日を使って剥きました。皮を剥くのは大変だけど、剥いている間いろいろな事を思いながらゆったりとした時間を楽しみました。

栗を見ると思い出す事があります。私の娘達が幼稚園の頃の事、まだ元気だった義父母が「奥の山にある栗の木にたくさん栗が実っているよ。」と教えてくれたので、休日になったら娘達に栗拾いをさせてやろうと計画をしました。そして休日、身支度をし籠と火箸を持ってゆっくりゆっくり裏山に向かって歩いて行くと大きな栗の木が見えて来ました。「ほら、あれがおじいちゃんとおばあちゃんが言っていた栗の木だよ。たくさんあるといいねー。」と言うと、二人の娘が先に栗の木の下まで走って行き、すぐに「あった!あった!」「みーつけた!」「ここにもあった!」と籠に入れ始めました。「待って待って!イガイガがあるから、気を付けてよ!手で触ったら痛いよ!」と心配して叫ぶと、小さな手に大きな栗の実を握っていたのでした。あれ?変だぞ?と走り寄ってみると、イガから外されたきれいな栗の実があちらこちらにゴロゴロ落ちていたのです。「えっ?どうしてこんなに実が落ちているんだろう?」空のイガもたくさん落ちていました。落ちた拍子に外れた??こんなにもたくさん??──不思議でした。それから籠いっぱい拾って家に帰ると、義母が待ってくれていました。「おばあちゃん!たくさんあった!」と娘達が見せると「そう!たくさん採れて良かったね!お母さんに栗ごはんを作ってもらいなさいね。」と目を細めて一緒に喜んでくれました。そして、私は「お義母さん、すっごくたくさん落ちていてビックリしました。喜んで拾っていましたよ。」と言うと、義母が私の耳元で「お父さんが朝早く山に行ってイガを剥いて栗をまいておいてくれたらしいよ。」と言ったのです。それを聞いてやっと合点がいきました。(そうでしょそうでしょ、それしか考えられないですよ)と思いました。大きな栗の木や生っている実、落ちている栗のイガ、足を使ってイガから栗を取り出す……これらを体験させたい私の思惑は空振りとなりました。だけど、おじいちゃんおばあちゃんの私達親とは違う優しさや愛情が吹き出す程愉快でありがたく思いました。ただただしんどい思いをさせずに喜ばせてやりたい、という計算のない純粋な愛情です。

私達親は、栗の木を見せて栗の生り方やイガの痛さや剥き方を教え学ばせたいといろいろな事を経験させようとします。これは、とても大切な事です。子供の将来を考え人として生きる上で大切な力を育てていく事または、その環境を用意するのは親の責任でもあります。それは、親の仕事で、おじいちゃんおばちゃんの役割ではないような気がします。おじいちゃんおばあちゃんには、孫の喜びや悲しみにいつでもどんな時でも寄り添って味方になってくれる、子供にとって安心安全な居場所となってもらえれば十分なのではないでしょうか?

義母が亡くなり、娘達の子守り役はもっぱら義父でした。仕事が終わり私が帰宅するまでの時間をあの手この手で安全に過ごさせてくれていました。いつも「ちゃんと宿題したよ。おやつもおじいちゃんが買ってくれたよ。」と私が帰るなり報告してくれ娘達はおかげさまで寂しがる事も無く、むしろ留守時間が充実しているようでした。「おじいちゃんの用事でホームセンターについて行ったら、おじいちゃんが自転車を買ってくれたんだー。」と大買い物にビックリ!「跳び箱が苦手って話したらおじいちゃんがこれを作ってくれたよ。ブランコが好きって話したらこれも作ってくれたよ。」と広い作業場が体育館のようになっていたのにもビックリ!そして、ずっと先になって「実は……」と白状した事がありました。いつも算数ドリルの宿題は、おじいちゃんとの共同作業(?)で、孫が問題を言いおじいちゃんが計算機で答えを出してくれていたと言うのです。その姿を想像すると可愛くて微笑ましくて叱る気にはなりませんでした。おじいちゃんが「ありゃありゃ、お母さんにバラしたのかぁ。お母さん叱らないでやってや、あんまり時間かけてしんどそうにしていたもんで、おじいさんが手伝ってしまったんよ。かんにんかんにん。」と笑いながら話してくれました。孫達とおじいちゃんのチームワークの良さ(?)に、親子にはない関係を感じ、いろいろな形の愛情を受けて育ててもらえている事に感謝さえしました。

思春期になれば、私の母に恋や進路の相談等をしていたようでした。母が「お母さんには言えない相談をしてくれたよ。これはおばあちゃんとふたりだけの秘密だ。」と言っていました。どんな時でもどんな事でも聞き役で「そうかそうか。うんうん。」と受け入れてくれる、孫達にとっては大切な居場所でした。

敬老の日、お子さん達はおじいちゃんやおばあちゃんの愛情に感謝したでしょうか?いえ、きっとおじいちゃんおばあちゃん方は、孫達に感謝して欲しいなんて思ってはおられないと思います。無償の愛ですから。ただただ可愛いくて大切だと思ってくださっているそんな愛に元気な笑顔を返してくれたりたくさん話してくれたり、「おじいちゃんおばあちゃんだいすき!」と言ってくれたりする事で、喜んでいつでもウエルカムの居場所を用意してくださるのではないでしょうか?そんな安全地帯になってくださっている事に私達親の方が「ありがとうございます」と言わなくてはいけませんよね。
大人になった娘達は今でも、おじいちゃんおばあちゃんの事を懐かしく思い出し、その存在の大きさに親とは違う“ありがとう”の気持ちを抱いているようです。栗ごはんを食べながらいつも家族でこんな思い出話になります。「またその話?」と同じ話を何度もして笑われてしまう私も、そろそろおばあちゃんの立場で物事を考える年になったのでしょうか?
“敬老の日”がやけに気になるのはどうしてだろう………?(苦笑)

田房葉子



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